時を超えてゴッホと対話する。作品『ひまわり』について
こんにちは。美術作家の大槻香奈です。
突然ですが、今日はフィンセント・ファン・ゴッホの《ひまわり》をテーマに制作した私の絵画作品について書いてみたいと思います。
実はここ2年ほど「名画」をヒントに制作した絵画作品を多く制作しています。この試みは、私が都内で運営する半オープンスペース「ゆめしか家」にて約月1で企画・開催している『絵画と焼き物の見方』というお勉強会のために描き下ろしているという背景があります。(我ながら恐ろしい制作ペースですが…)
お勉強会と描き下ろし絵画
本題に入る前に少し、ゆめしか家でのお勉強会についてお話ししたいと思います。お勉強会は毎回「名画」をひとつテーマとして取り上げていて、それについての未だ語られていない領域や現代的な見方を掘り下げ、あらためて新鮮な形で作家の意図に触れることを目的に開催しています。その上で、"絵画"とそれに通じる"焼き物"、という別の芸術領域を横断して触れてみることで、名画を立体的に捉えてみようという趣旨になっています。
早速「なんだそれは!?」と思われるかもしれませんが、絵画の見方を深めていくことで焼き物の見方もまた深まっていく… あるいはそれに連動して別の芸術領域の見え方も変化していくことを示唆するお勉強会は、毎度自分を取り巻く世界が変わっていくようでとても面白く、企画者としても日々やり甲斐を感じています。
大槻香奈作品『ひまわり』
うっかり前置きが長くなってしまいました。改めまして、今日取り上げるのはゴッホの《ひまわり》をテーマにしたお勉強会(2025年7月開催)に合わせて制作した『ひまわり』という作品です。

大槻香奈『ひまわり』2025年 727×606mm 紙・アクリル
ゴッホのお勉強会以前に、元々2008年頃からひまわりを好んで描き続けてきた流れもあって制作に着手しました。なんだか不思議な画面に見えるかもしれませんが、これは花が咲いてから萎れるまでの時間経過を画面上にレイヤーとして描き残すことをしています。花の変化を線画で重ねるようにして描き、日々の動きを表現しています。
これは存在の変容と揺らぎ、時間の流れを1枚に閉じ込めようという意図があります。こちらは実際に5輪のひまわりを花瓶に生け、毎日観察しながら描き進めていきました。花のうつろいを描いたことで、もしかしたら画面の中にはひまわりが6輪や8輪にも見えるかもしれません。
この技法は2018年頃、花のうつろいをテーマに何作か描いていた頃に閃いたもので、その時にも既にひまわりをモチーフとしていました。
ひまわりが他の花と違って面白いのは、その形すがた、日々の様子の変化が見た目に分かりやすいところにあります。咲いてから萎れるまでダイナミックな動きを見せるひまわりは、その変容のいずれの瞬間も美しく、一瞬ごとに目が離せません。生から死への流れがよく現れているお花と言いますか、とても表現しがいがあります。
私は普段「少女」を描いていますが、それは子供から大人への変容と揺らぎ、時のうつろいを表現したいからだと言えます。はっきりと存在の固定されない様子を、確かな筆遣いで捉えていくことに興味があって、その点においては少女でも花でも、描こうとするモチーフが違っても、私は同じことを表現したいのだと思います。
ある存在が、次の瞬間にはうつろい、流れの中にいるということは生き物にとって自然なことで、それを受け止めることはその存在を芯から尊重することだと思っています。私の絵画の普遍的なテーマはそこにあって、こういった考えは、日本的な四季のうつろいの中で育まれたように思います。
ゴッホの《ひまわり》の新たな発見
ゴッホのお勉強会に向けて作品を描きながら、そういったことを考えているうちに、ある重大な発見をしました。
ゴッホはこれまでに何度もひまわりの絵画を繰り返し制作していますが、4枚目に描いたとされる1888年の《ひまわり》(所蔵番号:NG3863)の花の本数と、実際の絵に見えているそれとでは数にズレが生じているのです。公式では15本となっていますが、ゴッホの手紙には何度か14本と書かれています。そして個人的には16本にも見えます。このズレは一体何なのでしょうか。