ボッティチェッリ『ヴィーナスの誕生』から考える"うつろいの美"
こんにちは。美術作家の大槻香奈です。
今日はボッティチェッリの『ヴィーナスの誕生』からヒントを得て制作した私の作品『変身』について書きたいと思います。
その作品がこちらです。

大槻香奈作品『変身』2025年 910×727mm 紙・アクリル・色鉛筆
この作品は2025年11月に制作しました。私が都内で運営する半オープンスペース「ゆめしか家」にて約月1で企画している芸術お勉強会があり、そこでボッティチェッリ『ヴィーナスの誕生』をテーマに開催した際に描き下ろしたものです。
お勉強会のねらいとしては、名画を現代ならではの視点で再解釈し、それを踏まえての新作を描き下ろすことで名画を立体的に観てみようという試みでした。今日はそのお勉強会の内容には触れませんが、私が『ヴィーナスの誕生』をどのように解釈し、どのような考えで『変身』を描いたのか?を書いていけたらと思います。というわけで早速本題に入っていきましょう。
『ヴィーナスの誕生』から受ける素朴な感想
正直、『ヴィーナスの誕生』はこれまでに様々なメディアの中で観る機会が多く、あまりに見慣れ過ぎていることから、今あらためてこの作品と向き合ったとき何を感じれば良いのか…?ずっと分からないでいました。おそらく多くのみなさんにとってもそうだと思うのですが、名画という先入観から素朴に感想を言いづらい人も少なくないのではないかと思います。なのでまず、私は『ヴィーナスの誕生』を名画としてではなく、単なる1枚の絵として向き合うことから始めました。
実はコロナ前、私はイタリアのウフィッツィ美術館にて実際に『ヴィーナスの誕生』を鑑賞して参りました。

(人が多すぎて正面からは撮れず…)
実際目の前にすると「うわー教科書で何回も見たことあるやつ!」とシンプルに湧き上がってくる感動があります。原画の前ではキスをするカップルがたくさんいて、多くの人達にとって『ヴィーナスの誕生』は祝福と幸せの象徴なのだなあ…と思いました。
私はまず原画を目の前にして、それまでほとんど印刷でしか見たことの無かった『ヴィーナスの誕生』の生の迫力に、素直に感動しました。ボッティチェッリの生の筆遣いを眺めながら「すごく一生懸命描いてある…」と、まるで学生作品を見守るかのような温かい気持ちで観ている自分もいました。この不思議な感覚はどこから来るのだろう?と、まだその時は分かりませんでしたが、後々その理由が見えてくることとなりました。(あとで書きます)
あと、単純にこの作品は"可愛い"のだと思いました。ヴィーナスの立ち姿はもちろん、お花も波も風神のやたら長い足の指も、なんだかキュンとしてしまいます。おそらくボッティチェッリは、画家としての仕事を超えて、これらモチーフに対して純粋にときめきを感じながら描いているのではないか…?と思いました。教科書で見るよりもずっと、作者のピュアな眼差しに触れたような気がしたのです。
少女的なヴィーナス
それから時が経って、昨年『ヴィーナスの誕生』についてあらためて考えた時、ここに描かれたヴィーナスが、どこか少女的に見えることに気付きました。
というのも、本来ヴィーナスというのは"愛と美の女神"なわけです。フランスのルーブル美術館で見られる彫刻のヴィーナス像から受ける印象だと、もっとヴィーナスは堂々としていて(ちょっと怖いぐらいの)美の自覚と強さがあるように感じられるのですが、ボッティチェッリのそれは自身の美に対して無自覚なようで、何だか「ぽや〜」っとして見えるのでした。
そこで、これはもしや、ボッティチェッリの描いたヴィーナスは、誕生して間もない「自我が生まれる前の瞬間」なのではないか?と思いました。原画を前にした時に感じた可愛さは、この「まだ何者でもない」少女的な揺らぎの表現から来ているのではないか…?と。